一気
明治41年の文章だけど今に生きることばだと思います。「気が散る」ことに対する対処法を述べたものです。このあとに
「電報を握りながら碁を囲んだり、新聞を読みながら飯を食べたり、小説を読みながら人と応対したりするような事は…何様(どう)もよろしくない、悪い習を身に着ける傾がある。」
とあります。例は古いけれど、これは「ながらスマホ」と同じではないですか
「人二気あれば即ち病む」というそうです。けれど一気では病まない。また、一事一物を「全気全念」でハキハキと片付ければよいのだが、それがちゃんとできるようになるまでは少し修業がいると露伴は言います。
「一気にやる」というと今は「早く片付ける」ぐらいの意味で使いますが、「他のことに気を散じることなく、一念を込めて為す」という意味もあったのかも。結果的に早く逐えることになるのでしょうが。
「全気全念」ということばを初めて目にしました。「全身全霊」よりピンポイントに集中する気がします。