整う

2023-01-01雑感

私の治療室は完全予約制で、一度にお一人様のみ施術を受け付けます。

お一人ごとに備品を消毒するのはもちろん、シーツと枕カバー、皮膚に触れる部位に使う手ぬぐいもお一人ずつ交換して布団にセットし、指圧の準備が「整い」ます。

ところで、「整う」ということばを最近よく耳にするようになりました。サウナに入ったあと気持ちよく体がリラックスすることを「整う」と言っているようです。コロナ禍で足掛け3年、「整わない」ことがあまりに多すぎた影響なのでしょうか、「整う」ことを望む人の心がこのことばを意識の前に押し出したように思われます。

指圧も人の身体を「整える」手技のひとつです。全身の気血の流れがよくなると、自然に身体が「整う」わけですね。身体だけでなく、心も「整う」感じがあります。患者さんの中には指圧を始めるとすぐ寝息をたてる方もいらっしゃいます。それだけストレスフルな毎日をがんばっていらっしゃるのだなと、思わせられます。

指圧を受けると「整う」のはもちろんですが、実は指圧を「させて」いただくことも「整う」ことになっているのです。これは私だけのことかもしれませんが、ふだん生活しているとどうしても自分中心に、考えや感覚が回ります。つまり独りよがりで生きています。

以前の勤め先で仕事上のトラブルで頭に来たことがあり、その怒りを持ったまま夜間の指圧学校に通学したことがありました。その日は指圧の授業がありましたが頭の切換ができず、気分がのらないまま実技のペアに向かったのでした。しかし、指圧の手順を追いながら相手の身体に触れて施術を進めていくうちに、感覚が指先に集中するようになり、いつのまにか仕事の怒りを忘れていました。

頭に上ったままの怒りの感情が、指圧相手の身体を通して自分の身体の中心に落ちてきたような感覚でした。今から考えるとあれが「整った」感覚なのかと思います。

「整う」には自分ひとりだけでは難しい。サウナも身体の外から刺激を入れる仕掛けと言えるかもしれません。自分を整えるためには他者に開いていないとだめだということかと思います。

Posted by 清水 俊一