人間における自然ということ
『体癖』野口晴哉(ちくま文庫)を読んでいます。
序章「人間における自然ということ」には、いきなりドキッとさせられました。いわく、
「元来、体の丈夫な状態とは寒暑風湿をものともせず、食べるに選ばず、何でも旨く、働くに溌剌として疲れず、疲れて快く、眠って快く、守らず庇わず補わずとも、いつも元気で活き活き動作し、その患いも、何もせずに自ずから経過して新鮮活溌となり、雨も風も苦とせず、いつも軽快に行動し続けられることをいうのである。」
科学の発達により人間は楽で快適な生活ができるようになりました。医学は診断と医療技術を発展させ平均寿命を延ばしました。しかし、それは「体が進歩したとか丈夫になったとかいうこととは違う」と筆者はいいます。
「地ばしり」現象というものがあります。野ネズミは天敵がいなくなると繁殖が盛んになり増え続ける。あるとき集団で移動をはじめる。途中にある食べ物を食べつくして走り続け、果ては川や海に飛び込んでいくという… 人間も天敵がなくなり繁殖を続けていけば、この「地ばしり」と似たようなことが起こりはしないか、といいます。
「人間の天敵は即ち寄生虫とか諸種の病菌とかその他の有害物であろうが、それを皆無ならしめて自然淘汰から遠ざかろうとしているが、その目的を達成し完全に天敵を一掃し得た時に地ばしり現象が生ずることがないだろうか。」
筆者は人間の天敵と見るべきものとして、癌、脳溢血、狭心症、白血病などを上げていますが、今の私たちにとっては、まさしく新型コロナ(Ccovid-19)がそうではないかと思い当たるのでした。
この本の初版は1971年(昭和46年)。「あとがきにかえて」の一文に記されているのは昭和36年7月の日付です。そんなに前に現代の状況を見据えていたことになるかと思うと慄然とします。ただ、昭和30年から40年という時代は戦後が一段落して生活が楽になり始めた時期でもあります。その楽な生活様式がさらに発展していくならば、人間の体の自然は必然的に弱まるだろうということは、予測されただろうと思います。
筆者いわく、
「環境改善によって生ずる変化は萎縮である。(中略)体の実質が萎縮すればそれまで何でもなかった物が有害物と化する。」
ではどうすればよいか。「簡単である」と筆者は言います。
「全力を出しきって行動し、ぐっすり眠ることである。自発的に動かねば全力は出しきれない。(中略)何よりもまず動くことである。自分で動くことである。他人をいろいろ動かして自分が丈夫になるつもりの人もいるが、自分の糞は自分で気張らなければ出ない。」
末文のたとえは昭和の時代を思わせるたとえですが、よくわかりますね!
私は指圧師ですが、いわば他人が施す指圧で患者さんを健康にしようなどとは思いあがりも甚だしいと言わざるをえません。自分の力が及ばないのはいうまでもないですが、なにより当の患者さんが動かなければ健康にはならない。指圧はそのきっかけとなるに過ぎないでしょう。よいきっかけを差し上げられるよう自身の指圧の技量を高めていきたいと思います。
「溌剌と動いた者にのみ深い眠りがある。体を丈夫にすることはやはり自然の構造に従って生活するより他に道はない。」